僕の釣り

炎天下の防波堤にひとり座り、

釣り糸を垂れながら、ある日僕は思った。

 (なぜ僕は釣りをしているのだろう?)

釣り糸はまっすぐ海底につながっていて、ピクリとも動く気配がない。

「イサムは釣れないよ」

今やバンドのメンバーや友だちの間では周知のこととなっている。

(ふん、釣れる時だってあるし)

駄々をこねたところで真実は曲げられない(笑)。

おしりにねっとりと汗をかきながら、

紫外線に自由にシミを作らせながら、

それでも僕は釣りをしている。

これは僕だけの問題なのだ。

釣れようが釣れまいがね。

でも、釣りの何がそんなに魅力なのかと訊かれたら、

そもそも何なんだろうとも思ってしまう。

(僕はそんなに魚が釣りたいのだろうか?)

それは間違いない。釣りたいのは釣りたい。

でも、釣れなくてもかまわないとも思っている。あ、いや...それはウソ。釣れないととても悔しいけれど、釣れないなら釣れないなりの理由が必ずあって、それを自分で受け入れたいと思っているから大丈夫、気にしない。

やれやれ、こんな言い訳を言っているようじゃあ、いつまでたっても...

 

僕はこの音楽の世界に入ってからというもの、勝ち負けの世界から遠ざかって生きているような気がしてならない。そもそも音楽で自分の思いを表現すること自体、誰かとの勝負の世界にはいない。重要なのは自分がどんな音楽を作るかということだけだ。だから仮に負けるということがあるとしたら、他の誰でもない、自分に負けるのだ。曲を作る前にイメージみたいなものがあって(それは具体的な場合も漠然とした場合もあるのだが)、メロディーやリズムやコーラスラインや、楽器、その他いろいろな要素を、自分なりに組み合わせることによって、理想とするイメージに近づけていく。でも残念ながらうまくいかない場合がある。イメージ通りに作曲や編曲をしたつもりでも、出来上がったものを聴くと、理想とは程遠いと思ってしまうことがある。勝ち負けとは関係のない世界ではあるけれど、どうしても白黒をつけるとしたら、たぶんそのときが敗北なのだろう。自分の力が及ばなかったということだ。敗北というと大げさかもしれないが、でも僕は、そうなってしまったらなってしまったで、この負けた感じ、力が及ばなかったと自覚する感じを大事にしたいと思っている。失敗をやらかしたときに叱ってくれる上司や社長がいない世界にいると、つい自分を甘やかしてしまう。いつでも自分を許そうと思えばすぐに許せる。野放しに泳がせておくことができる。しかしそういうことを当たり前のようにくり返していると、知らず知らずのうちに、とても危険なぬるま湯の中へと己を浸からせてしまうことになるのだ。しかし、かと言ってじゃあ「負けた感じ」というのが、いつでも味わえる日常なのかというと、そういうわけでもない。

前置きが長くなってしまったが、だから僕は釣りにハマってしまったのかもしれない。

「ハハ、お前はバカか!」と飽きられても仕方がない。でもこれは事実なのだ。

もちろんはじめは魚を釣りたいという思いだけで釣りに行っていた。

でも行くたびにボウズの壁が立ちはだかって、来る日も来る日も一匹も釣れない日が続いた。僕は全身に言いようのない疲れを感じ、打ちのめされて家に帰ることをくり返さなくてはならなかった。悔しい気持ちを通り越して、疲労感だけが残り、「もう二度と釣りになんか行くものか」と、投げやりな気持ちになったことも何度となくある。

ところがある時から僕は、この敗北感を苦痛に感じなくなった。素直に前向きに受け入れようと思えるようになったのだ。

どうしてそのような気持ちの変化があったのだろう...。

単刀直入に言うと、一目瞭然の事実を認めるだけでよかった。

それは「釣っている人がいる」という揺るぎない事実である。

この世の中に紛れもなく「釣る人」というのが存在するのだ。

つまり僕が釣れないことには確かな理由があって、もしきちんと真面目にその原因を探り、分析し、至らないところを改善するならば、理屈の上では間違いなく「釣る人」になれるはずだ。釣れない原因を排除していけば、釣れる方向に近づいていくはずなのだ。その絶対的な論理を、僕は直視することにした。釣りをする人なら誰でもそこを信じ、目指さなければいけないのではないかという気さえしてきた。

釣れないことを経験しないでは、決して釣る人にはなれない。それが僕の辿り着いた結論だ。釣れるか釣れないかという博打のような世界ではなく、確実に釣る人になるために、数え切れないほど釣れない経験を積み重ねていくことが避けられないのだ。その経験から僕は学んでいかなければならない。ボウズによる敗北感は、釣るための通り道、必要不可欠なこと。そのことを悟った瞬間から、僕は釣りがさらに楽しくなった。もっともっと積極的に敗北感を味わおう、魚のいない海を知ろう、アタリが来ない空気を感じよう、そして次回からは一つひとつそれらを避けていくための、あらゆる知恵を絞る努力をするのだ。

何とも釣りが楽しくなってきたではないか。

Share: