幼稚園のころ、そう、忘れもしない。あれは幼稚園のころでした。
僕は、どこかの知らないおじいちゃんに連れられて、宮古島西里のとある民家に行きました。
その頃自分のおじぃも元気でしたから、どうして僕が自分のおじぃとではなくて、どこかのおじいちゃんと一緒に、それも知らない人の家に行かなくてはならなかったのか、その辺は今の今までまったくわかりませんでした。
その家は何かのお祝いをしていて、たくさんの人がせわしく出入りしていました。
その家の間取りや、二階に上がる木の階段や、その二階の窓から見た景色などが、幼稚園のときに焼きついたものだとはにわかに信じ難いほどに、鮮明に記憶に残っているのです。
いつだったか、母親にそのことを尋ねてみたときがありました。
すると、
「そんなことがあったかねぇ。憶えてないさぁ」
まるで僕が勝手にそんな夢でも見たかのような答えしか返ってきませんでした。
そして僕はスペインのグラナダという街に行きました。
グラナダの街角のある狭い路地の坂道で、生まれて初めて来た場所なのに、
「ここだった!」
というハッキリとした感覚に襲われたのです。
坂道に立ち並ぶ鉄筋コンクリートの家々と、狭くて迷路のような路地、その匂いや雰囲気、僕が住んでいた久松の景色とは、まるで違うものを感じたあのときと同じ感覚が、まるごと僕に押し寄せてきたのです。
あれから何十年経っているのでしょう。
そしてつい最近宮古に行ったときです。
僕はまったく別の用事で、母親を助手席に乗せながら、普段はほとんど通らない西里の飲み屋街の裏あたり、狭い路地の坂道をゆっくり走らせていました。
と、そのときです。
その感覚は突然襲ってきました。
「ここだ! 母ちゃんこの家だよ。」
「は? なにが?」
「この家に来たことがある。幼稚園のころに」
「...」
「間違いない」
しばらく間があって、
「あー、はいはいはい、そう言われれば、そうだったかねぇ」
「どこかのおじぃと一緒だったのも憶えてる」
「あー、そうそうそう、〇〇家(やー)の〇〇おじぃだよ。落成式だったんだよ。男の子を連れて行ったら縁起がいいということでね、あんたを借りに来てたわけさ。はいはい、あー、そうそう、母ちゃん思い出したさー」
幼稚園ぐらいまでグラナダで生まれ育った僕を、何かの理由で、こんな地球の裏側に住む宮古島の下地夫妻が引き取って、アントニオみたいな名前だったのに、イサムに改名して育ててくれたのかもしれないと、両親のどちらにも似ていないと言われることが多かった僕は、恐る恐る想像したりもしていたのです。
よかったです。謎が解けて。
遠いグラナダの知らない街角で襲ってきたデジャヴの感覚が、狭い狭い宮古島の、いままで曖昧だった記憶のその民家を思い出させるなんて、不思議な話です。
また旅に出たくなりました。
たかだか80年ぐらいの人生ですからね。
思い立ったときにすぐに出発してみますか。
はは、それができればいいさ~。
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