8月になりましたね。
ここ東北盛岡はかなり涼しいですよ。
残暑という響きは、僕をちょっぴり寂しい気持ちにさせます。
さて、だいぶ時間が空きましたが、「僕の釣り」(その2)を書きました。
気が向いたときのシリーズにしたいと思います。
ダラダラと長いのですが、懲りずにお付き合いくださいませ。
では!
「僕の釣り」(その2)
前回のブログ「僕の釣り」で、この世の中には「釣る人」というのが存在すると言った。
今日は身近にいるそんな一人を紹介しよう。
僕の父だ。
しかし父の釣りの歴史はとても浅い。
今から30年以上前、僕が小学生のころ、父は自営業の傍ら趣味としてサシ網漁をやっていた。しかしそれは趣味の範疇を越えていると言われても仕方がないほどの玄人ぶりだった。大漁への執念も、それにセットでついてくる結果も、本物の漁師の域だった。
父の性分からすると当然のことだと思えるのだが、彼は当時釣りにはまったく興味がなかった。僕が竿を持って防波堤に出かけていこうとすると、「そんなものでどれだけの魚が捕れるの?」と、いつも嘲笑っていた。やる前からどうがんばったって結果の上限が見えている釣りというものに対して、己の大漁への野望とはとても釣り合いがとれないと思っていたのだろう、釣りはみみっちいもの、邪道なものという見方しかできなかったみたいだ。生活をかけてする「漁」と、ゲーム感覚を楽しむ「釣り」とは、そもそもそれ自体てんびんにかけて比べられるものではないということぐらい、子どもの僕でもわかっていた。いや、ある意味僕だけがわかっていたのかも知れない。
父が釣りには目もくれなかったように、僕は僕で(別に反発心で言うのではないのだが)、網で魚を捕るということには少しも興味が持てなかった。
しかし僕は、好むと好まざるとに関係なく、父の漁の手伝いをさせられた。
兄と一緒に浅瀬を全力で走りながら、魚を追い込む役割を任されていた。
父と、父の自営業の従業員が網を半分ずつ(かなり重たいのだが)肩に担いで、干潟に潮が満ち始める浅瀬をゆっくりと歩いていく。
その後ろを兄と僕がついていく。
ライオンが獲物を狩る前の緊張した空気に似て、静寂の中に、バシャッ、 バシャッ と、水を切って歩く音だけが水面に響く。
父の顔は険しく、普段の優しい表情はもうどこにもない。
それを見て、僕も兄も少しずつ覚悟を決めていく。
父の目つきがキッと鋭くなったそのとき、
「ハイハイハイハイ、あーーっがんにゃああ!!」
突然叫び出した。
ハンターが魚の群れを見つけたのだ。
しかし僕と兄は、どこに魚がいるのかまったくわからない。何も見えない。父の指先がさす遠くの海面を見るのだが、どれだけ目を見開いても、キラキラと日差しが反射する銀色の波間しか見えない。
「あっがんにゃ!うかーすむぬ!ハイハイ、かまんどぅ うー、かまんどぅ うー」
方言を知らない人がそばにいたら、どこかの国の部族の人にも見えただろう。サバンナの地平線近くの木陰にゾウの群れを見つけてひとり興奮して叫んでいる部族の酋長さながらな感じだ。
「うわーすごいぞ!はいはい、あそこにいる、あそこにいる」
(この人の目は赤外線カメラなのか?)
僕と兄だけでなく、従業員のおじさんも何も見えていないみたいだ。ひとり興奮する親父だけが微妙に浮いている。しかしそのハンターの目つきは、誰にもものを言わせないオーラを放っていてとても近づき難い。
そしてそのときは来た。
親父の「よし、行け」の合図で兄と僕がまず先回りする。
大きく弧を描くように遠回りして、魚を網の方へと追い込んで来なくてはならない。
親父たちが網をおろし、囲む準備をする。
ある程度網が広がってきたとき、親父が大声とともに下から上にゆっくりと「カモーン!」のジェスチャーをする。
スタートの合図だ。
僕と兄は、このあとどう動くかということはもちろん、一瞬たりとも気を緩めてはいけないということを全身に叩き込まれている。
はじめは互いに距離を保ちながら助走し、網の両サイドがMAXに開いた頃合いを見計らって、中央部分へと猛ダッシュをかける。砂地の浅瀬を裸足で走る。ところどころ石があったりゴツゴツした岩場があったりすると足の裏に痛みがはしるが、そこで止まることは許されない。一番怖いのは、魚を追い込むタイミングが遅れて、網を囲み終えないうちに魚群が散らばって逃げてしまうことだ。そうなると父が半狂乱になって怒るので、僕ら兄弟にとってはそれが何より怖かった。
走る。とにかく走る。
膝下ぐらいの浅瀬(しかも砂地)を走るということがどれほど大変か、たぶん走ってみた者にしかわからないだろう。普通の走り方で前に進もうとすると、水の抵抗がそれを阻む。抵抗に負けないためには、ウサイン・ボルトよりも太ももを高く上げなければならない。しかしそれをするとたちまち持久力が尽きてしまう。最も適した走り方は、膝から下を思いきり外側に振り向けること、そう、究極の内股走法だ。
表情はたくましく真剣そのものなのに、走りは完全にオネエでなければならない。
兄貴の後ろ姿を見て思わず噴き出しそうになるのだが、人のフリ見て我がフリ直せないのだ。
僕も同じ走法で走る。とにかく力いっぱい内股で、一心不乱に走る。
魚たちが一斉にジャンプして水面から飛び出す。そのとき初めて群れを確信し、その数の多さに圧倒される。
網の中央へと追い込むと、親父たちは最後の「閉じ」にかかる。
囲まれたのを悟ったのか、魚たちが足元を猛スピードで右往左往しはじめる。
水面から次々にジャンプして網の外へと逃げていく魚たちもいれば、ジャンプのタイミングが早すぎて網にかかるものもいる。みるみるうちに網が銀色のウロコでキラキラと光りだす。
「網を上にあげろー!!、魚を逃がすなあぁぁ!!」
親父の怒号が飛んでくる。
網にかかった魚は後回しにして、ジャンプ脱出を防ぐために僕らは網のウキの部分を水面から上の方に持ち上げる。はじめから網を持ち上げて待っていてもそこに魚は飛び込んでこない。魚たちもちゃんと見ているのだ。持ち上げていない方の網の上を飛び越えて逃げていく。だからジャンプする瞬間に反射的に網を上げなければならない。
これが「まき刺し網追い込み漁」の壮絶な現場なのだ。
ボラの群れ、キスの群れを追いかけるガーラ(アジ)を囲んでいたら大成功だ。
30キロもあろうかと思われるプンガーラ(ロウニンアジ)を囲むときもある。
その時というのは、父も血圧が上がりすぎて倒れてしまうのではないかと思われるほど興奮し、絶叫する。
「ブンが入ってる!!逃がすなーっ!」
大きな黒い影が網にぶつかる寸前にUターンして、中を激しく泳ぎ回っている。
プンガーラは大きすぎて網にかからないから大変だ。網にぶつかる瞬間に我々人間が決死の覚悟でダイブしてプンに抱きつかなくてはいけない。そんな恐ろしいことを幼い子どもに求める親がいるだろうか?
いるのだ。
「何をしている!!はやく飛び込まんかぁぁーっ!!」
父は何度もダイブして、プンの背びれに刺されて腕から血を流している。
壮絶な流血の現場を目の当たりにして、同じように飛び込むことができるだろうか?
僕にはできなかった。
どんなに父に怒鳴られても、それだけは勇気が出なかった。
相手はもはや魚ではなかった。生きたイノシシに飛び込むのと同じぐらいの感覚なのだ。
だから僕は、網で囲むたびにプンガーラが中に入っていないことだけをいつも祈っていた。
しかし兄貴だけは違った。へっぴり腰で、半分泣きそうになりながらも、何度もダイブしていた。
臆病者の次男に代わって、長男の重責を一身に背負いながらプンガーラに飛び込み続けていたのだ。
しかし獲物を捕らえたのは、親父だけだった。
兄の決死のダイブも虚しく、プンガーラは網を突き破って逃げて行った。
怒号と叱責だけが網の中にいつまでも残った。
「プンガーラを逃がしてプンプンプン」
40歳を過ぎた兄弟二人が、たまに酒を飲みながら親父の網の話題になると、必ず兄が笑いもせずにこのセリフを口にする。
兄のその笑えないジョークの意味を一番理解しているのは、弟の僕だけだ。
話は長くなったが 、
そんな父がである。
この追い込み漁のストーリーからも、釣りをするはずもない性格であることがわかっていただけたと思うのだが、
そんな父が、今は釣りにハマッているのだ。
僕と兄からすると、まったく信じられない出来事だった。
父は70歳の少し手前ぐらいから釣りを始めた。
魚を捕ることへの興味と執念だけは残っているのに、身体が老いてしまった人間の、一大転身と言ってよかった。
釣りを嘲笑っていた人間が、まさか釣りにハマることになろうとは...
苦笑いしたい気持ちになっているのは、誰より父本人だろう。
父も歳をとってしまったのだ。
しかしその父の釣りというのがとても面白い!
こんなんで魚が釣れるの?と疑ってしまうほど、釣り人の常識を打ち破る斬新な仕掛けで、完全なるオリジナリティを極めているのだ。
すべてを暴露してしまうと父に対して申し訳ないので、ここでは仕掛けの細かいことまでは言わないが、とにかく独自のスタイルで釣っていることだけは確かだ。道具の値段やメーカーなどには一切こだわらないが、どんな道具を使うかについては父なりのこだわりが見える。そして釣る。とにかく釣って帰ってくるのだ。
父はまぎれもなく「釣る人」なのである。
その事実は僕にかなりの衝撃を与えたと同時に、大きな勇気をもくれた。
常識や理屈は結果に勝てないということだ。
独自のスタイル、たとえそれが周囲に笑われようとも、揺るぎない結果が燦然と輝いてついてくる限り、誰にも文句は言えない、いや、言わせない力を持つのだ。まさに父がそれを釣りという行為で証明している。歳をとってから釣りを始めてあっという間にこの域まで到達している父に「あっぱれ」と言うしかない。何かをスタートするのに年齢は関係ないという話を聞いたことがあるが、父を見ていて本当にその通りだと思う。
そんな親父に比べると、僕の釣りはまったく実益を上げていないに等しいレベルだ。なんのかんのと御託を並べてばかりで結果がついてこない。
でも僕にはまた僕の哲学に基づく、自分なりの「釣り道(どう)」というのがある。
僕はやっぱり「僕の釣り」をしたい。
それがどんな釣りなのかということについては、またこのあとのシリーズで少しずつ紹介していけたらと思う。
「お前はお前の望む釣りをしなさい」
もの言わぬ父の背中が、そう言ってくれているような気がする。