むかしコルゲートという商品名の歯磨き粉が売っていました。(あ、今も売っていると思いますが)
正確に言うと、歯磨き粉といえば島にはコルゲートしか売っていなかったのです。
復帰前の沖縄はアメリカの商品が多く、米軍キャンプのスーパーマーケットで「コルゲート」という練り歯磨き剤が売られたのをキッカケに沖縄全土に広まり、本土復帰したあとも長い間、沖縄の一般家庭でナンバーワンのシェアを誇っていたという歴史があります。
そんなわけで、沖縄県民にとってコルゲートと言えば歯磨き粉の代名詞だったのです。
「コルゲートを買ってきて」
と言われることはあっても、
「歯磨き粉を買ってきて」
と言われることはありませんでした。
しかし復帰してしばらくすると、本土からの製品もどんどん入ってきて、
歯磨き粉だけに限って言えば
「クリニカ」や「ホワイト&ホワイト」や「デンターライオン」など、
たくさんの商品が棚を賑わすようになりました。
僕が小学生のころ、集落内の近所の商店にお菓子を買いに行ったときです。
80歳ぐらいのおばぁがいきなり店に入ってきたかと思うと、店番をしている73歳ぐらいの後輩おばぁの名前を呼びながら、
「テンタ テンタ」
と言うのです。
「は?何てぇ??」
「テンタよ テンタ」
「テンタとは何か?」
「テンタさ テンタ」
まるでババの一つ覚えのように、
売り手と買い手の疎通度ゼロの世界に、「テンタ」という言葉だけが何十回と連呼されていました。
お菓子を買いたくてただその場に立ちつくしていた僕も、
『テンタって何だろう?』と疑問に思うようになりました。
その80歳ぐらいのおばぁは、73歳ぐらいのおばぁが留守のときは、店番を手伝ったりもしているらしく、何やらやたらと馴れ馴れしいのです。自分の言うことを聞かないならもう店は手伝ってあげないからねというような素振りで、とてもお年寄りとは思えない威圧的な態度で後輩おばぁに迫ってくるのでした。
「あんた、テンタも知らないの? コルゲートのことさ」
「なーんね、コルゲートならコルゲートって言えばいいのに。 テンタ、テンタって。 コルゲートならあっちの棚にあるさ~、ハイ」
店のおばぁは少しイラついた感じで、それでも見てごらんうちのコルゲートの仕入れ数を、とでも言うように、勝ち誇ったような顔でコルゲート一色に積まれた棚を指差しました。
「ちがう、あのコルゲートじゃない、テンタよテンタ。 コルゲートだけどテンタよ」
「うちはコルゲートはあれしかないけど、別のコルゲートがあるの?」
「あるさー、あんた店をやっているならそれぐらいは知らないと」
呆れたような口調で客のおばぁはそう言うと、棚から仕方なく「テンタ」ではないコルゲートの箱を一つ手に取り、代金を支払って帰っていきました。
話の内容がわかりやすいように補足説明を加えておきます。
1.店のおばぁは、歯磨き粉と言えばコルゲート。コルゲートが商品名だということも知らなければ、他の商品名もたくさんあるということを知らなかった。
2.客のおばぁは、「デンターライオン」という商品を買いたかったらしいが、歯磨き粉のことはやはりコルゲートだと思い込んでいた。
3.島に民放が入ってきたばかりで、客のおばぁはコマーシャルを見て「デンターライオン」を知ったらしいが、店のおばぁの家には民放がまだ引かれていなかったらしい。
何を隠そう、その場にいた僕も当時はNHKオンリーだったので、そのテンタなるものがデンターに結びつく可能性は1%もなかったのです。