僕が小学生の頃、家の近くに「深い浜」と呼ばれている浜がありました。(あ、今もありますが)
そこは決して深くない、遠浅の、しかも白い砂など一粒もないような、まあ言うなれば浜にほど遠い浜、「仮想の浜」でした。なのにどうしてそのような名前が付けられたのか、昔からそう呼ばれているので理由は解りかねるところですが...。
ま、それはいいとして、沖縄の中でも有数の「美しいビーチ」を誇る宮古島にありながら、とにかくこの「深い浜」は、おそらく島でトップクラスの「引き立て役」的な浜でした。地味で名の知れない、地元の少年たちしか口にしないような浜だったのです。そんな、とても浜とは言えないような浜ではあったものの、僕らにとっては大好きな泳ぎの楽園でした。与那覇湾づたいの小さな入り江に面していたので、外海に流されていく心配もないし、遠浅ということもあって、子どもたちが泳ぐには親の監視も必要ない(本当は必要ですが。まあもともと様子を見に来る親など一人もいなかったのですが・笑)、双方にとって都合のいいという意味ではそれこそ「理想の浜」だったわけです。
夏休みの間中、僕らは部活帰りに毎日のように「深い浜」で泳いでいました。護岸の船着き場のそばに、満潮になると奇跡的に足の着かない深場があったので、そこが僕らの泳ぎのたまり場でした。その場所から100メートルほど離れたところに、3隻ほどの伝馬船(てんません)がアンカーにつながれて波に浮いていました。伝馬船というのは、かつお船などの大きな船の荷物の積み降ろしなどに使う小舟のことです。遠浅の海にはなくてはならない存在だったようです。ある時から僕らはその伝馬船からの飛び込みを覚えてしまいました。みんなで船を揺らしたりジャンプしたり、そこから海に飛び込んだりと、はしゃぎにはしゃいで船をも壊さんばかりの勢いだったのです。するとそこに、真っ黒に日焼けした、ゴルゴ13と両津を足したような風貌の漁師(持ち主)が現れました。漁に出かけるために来てみたら、自分の伝馬船がフィーバーしていて、今にも転覆しそうにガンガンに揺れているのが目に入ったのでしょう。割れんばかりの怒声が聞こえてきました。「おいこらーっ!お前らみんなここに来いっ!今すぐ上がって来いっ!!」ドスのきいた声で「カモーン」のジェスチャーをしています。僕らは「しまったー」と思いながら恐る恐る岸に戻ることになりました。「お前ら、ここに並べ!」と、護岸の上に僕らは横一列に整列させられ、渡哲也のような低い声で、まず一人ひとりの屋号を訊かれました。どこの家のガキか、屋号を聞けば一発で判るのです。そのあと渡さんは言いました。
「おい、誰がテンマで遊べと言った、あれはお前らの遊び道具か?は?今度見つけたら親に言いにいくからな、覚えとけ」と言われました。「親に言いつける」という常套句は小学生の僕らには一番効く言葉でした。その翌日から、僕らの間に伝馬船には近寄らないという暗黙のルールが出来上がっていました。
ところがその3日後ぐらいだったでしょうか、いつものたまり場で僕らが泳いでいると、同級生のTが一人伝馬船に乗っているのが見えました。「おいおい、おーい!テンマはダメだよテンマは!」僕らは大声で彼に言いました。(またやられるぞ)
「あれ?そう言えばあいつあの時いなかったよな」と誰かが言いました。そうだTはあん時いなかったよ。僕らが「親に言いつける」と怒鳴られた日、彼は浜に来ていなかったのです。
「だからか」
Tは逆に、なんで誰も伝馬舟に乗って来ないのか不思議そうに、たった一人で海面に飛び込んだりしていました。(あーあ、やばいぞ、忠告してあげないと)と思ったものの、僕らは僕らで海の中のパンツ脱ぎ競争で盛り上がっていたので、彼のことはすっかり忘れてしまいました。ちなみにパンツ脱ぎ競争というのは海中で立ち泳ぎしながら自分のパンツを脱ぎ「脱いだぞー!」とみんなに見せた上でそれを手放し一旦海底に沈めます。そして誰かの合図でフリチンで一斉に潜って自分のものを見つけ出し、立ち泳ぎしながら再びはくという技を(技でも何でもないのですが)、誰が一番速くやり終えるか競い合うというアホな遊びです。そんなパンツ脱ぎ競争に夢中になって、日も暮れかかった頃でした。
「あーーーがんにゃーーーっっ!!誰がテンマを盗んだーーー???!!!」
べた凪の水面が振動するぐらいの大声で、深い浜に渡さん(いつの間にか渡さん)の怒声が響き渡りました。驚いて岸の方を見ると、怒りで震えんばかりの渡さんが護岸に立っているのが見えました。そしてハッとして伝馬船の方を見ると、さっきまでそこにいた伝馬船とTがいなくなっているのです。(マジかー!)
夕陽に映える「深い浜」。
湾の向こう側から夜に向かう涼風がそよいでいます。夕凪の水面がかすかに揺れるたびに夕陽が反射して、美しいとは言えないこの浜でさえ、とても美しい時間帯でした。皮肉にもこの状況とは裏腹に。
僕らはまた横一列に並ばされていました。
「警察と親を呼ぶから待っていろ」と渡さんは言いました。声は、本当に怒った時にしか出ないような、どうやって発声したらいいかわからないというような出方をしていました。
行方不明になっているTと伝馬船を捜索しなければならないという、ただならぬ空気が漂っていました。日は完全に沈んで、少しずつ暗くなりかけています。外海は遠くて小学生一人が自力では絶対に出られないから、おそらく湾の奥の方に行っているだけだろうと、みんな何となく(きっとすぐ帰って来るよ)と思っているのですが、さすがに夜になってしまうとまずいなという気持ちになっていました。
すると湾の向こうの方からかすかに声が聞こえてきました。姿が見えないので声だけが近づいて来るという感覚しかありません。海を背にして立たされていた僕らは一斉に振り返り、海の方を見て耳を澄ましました。たのむ!Tであってほしい!渡さんも今は怒りよりも不安の方が上回っているみたいで、身を乗り出すようにして聞き耳を立てています。薄暗い湾の奥の方から、少し甲高い声がこちらに向かって近づいてきます。(笑い声だ!)それはおばさんたちの、笑いの混じった喋り声のように聞こえました。おかしい。Tは一人でいなくなったのに。なんでおばさん達の声なんだ。しかもいくら遠浅とはいえ今は満潮時、おばさん達が歩けるような深さではないのに、この声はなんなんだ。と僕はひとり心の中で呟いていました。でも声はだんだんと大きくなって確実にこちらに近づいて来るのがわかります。大人数の話し声です。考えれば考えるほど不思議で、僕は少し背筋が寒くなってきました。
そして入り江の向こうの方からその物体が少しずつ見えてきました。薄暗い海面にシルエットのみが現れ、やがてその全容が見えました。小舟です。沈みそうな伝馬船におばさん達がたくさん乗っています。船首のところに長い竿を持った少年Tが、必死に竿で伝馬船を前に動かしています。おばさん達はそれぞれの手で水面を漕ぎ、進むのを手伝っています。そして深い浜の船着き場、僕らが立たされている真下の方に伝馬船は着きました。「ああよかった、無事に帰って来れてよかった」と、口々に言いながらおばさん達が船から降りて来ます。6〜7人はいたかと思います。そのおばさん達のうちの一人が今にも怒鳴りそうな渡さんにこう言いました。
「渡さん、これはあなたの伝馬船ね?ああ、ありがとうねー、助かったさー。潮干狩りに行って帰ろうと思ったらもう満潮で深くて、戻れなくなっていたところに彼が来てくれたのよ。彼は命の恩人だから怒らないであげてね。渡さんの船のおかげよ。ありがとうね。」
ありがとうと他のおばさん達も言いました。
その言葉に渡さんは胸が熱くなったのか(見ていてそんな感じがしました)、何も言わずに伝馬船のところに行ってロープで船をつなぎ止めていました。
辺りはもうすっかり暗くなっていました。
帰り際におばさんたちがTに言いました。それは一つのしきたりのように、必ず口にしなければならないとでもいうように、おばさん達の口から次々に発せられました。
「まいふかがまー(おりこうさん)今日はお母さんにチンチン撫でてもらいなさいねー」